その名口に出して言う事を躊躇ったのは、目の前の子供に少なからず好意を抱いていた自分自身に苛立っていたからだ。
分かっていてもどうしようもない自分自身の感情の変化に目の前の子供を思う存分罵って、そこで初めて自分の愚かさを知った。
子供を罵った後、押し寄せる後悔に打ちしかれるのだ。
そして、目の前の子供はただ笑っていた。
それを見た瞬間、更なる後悔と自分自身への不甲斐なさに襲われるのだ。
胸を鷲掴みにされた心地だった。
一体誰がこの子共へ愛を囁いてやれるのだろうか。
子供への好意を持つ者は格段と増えたはずなのに、それでも子供は能面の様な良くできた仮面を被っている。
それが本能的の自己防衛だとしても、それを子供へと強いたのは自分自身だと言う事をひしひしと感じずにはいられなかった。


もしかすると、この目の前の子供へ感じる好意は、「愛情」と言う名の「後悔」とほんの少しの「憎しみ」と「切願」だったのかもしれない。