「お前なんか、嫌いだ」
そう言えたらどれ程楽になれただろうか。
言えない言葉の羅列はずっと胸の奥深くに仕舞われている。
「お前なんか、大っ嫌いだ」
今にも泣き出しそうな顔で、それでも懸命に何かをこらえるように・・・。
変わることのない世界で、変われない心が叫びだそうと必死にもがき苦しんでいる泣けない子供ほど哀れでみっともないと、十二歳の子供に嘲笑した。
目の前の広大な大地。一夜で根こそぎ奪い取られた命は戻ることなく。燻る怒りと憎しみは治まることなく。
果たしてこれで正しかったのだろうか。
何度も自問自答しても答えなど返ってくるはずもなく、時は過ぎ去るばかり。だからこそ見落としたモノも多数あるというのに、人間の犯した過ちをまた同じように犯す過ちは、果てもなく連鎖し続ける。そしてそれを背負うのは罪を犯した人間ではなく、犠牲者となった幼い子供なのだ。
「・・・・嫌い。大っ嫌い」
目尻に溜まった雫は頬を伝うことなく、噛み締めた唇とに握り締めた拳が色褪せ震えている。
我慢強く、負けず嫌いで一直線な性格。いつも笑って、悔しくとも辛くとも笑っている子供はやはり幼すぎた。
よく晴れた日曜の午後。
忍び五大国として一角を負う火の国・木の葉の里の奥深くへと隠された"禁忌"がある。
木の葉の里長・火影の屋敷の奥深く。その"禁忌"が隠された場所である。
人目を憚るように、里のごく一部の人間、それも火影が許可した者でしか入れないように施された封印型の結界にて守られていた。
未だ燻り続ける戦渦の灯火はまごう事無く"禁忌"から遠ざけられ、里人にはその所在すら知らないのが現状である。
厳重に警備された里をたった今、包囲網に引っかかった忍びが白狐のお面を象った暗部の者によって包囲され、徐々にその命の灯火が消されかけている。
「里抜けは厳罰に処されるのが習わしだ」
お面を被った一人の男が言った。輪のように取り囲まれた忍びは"元"木の葉の忍びである。
その胸元に隠された木の葉の禁術書奪回と里抜けを犯した男の抹殺が暗部の者に下された火影の命である。それを忠実にこなす暗部は火影の命に絶対だった。
「悪く思うな」
全ての引き金は引かれた。ガラクタの様に転がるその男は同僚であった里の忍びによってその命を断たれたのだ。そしてそれを悲しむ者はこの場にはいない。
戦渦によって産まれた混沌は未だ木の葉の里を覆い尽くしている。
それを表すように、他の忍里より間諜が里へと忍びこんでいる。そして里抜けする者が後を絶たないのも現状を左右させていた。
忍里に相応しく、里抜けを犯した者は厳罰に処されるのが慣わしであり、そして里に外なす者(他里への情報提供を行う者)はその場で暗殺される。
現に、既に地に伏した男はその古典的な裁断方法が採られている。
それを狐火と言うのか人魂とでも言うのか。青白い炎によって里抜けを行った男を焼き尽くす。跡形もなく、何もなかったかのように、後数s先は木の葉の里との国境間近だった森で男は塵も残さないまま消え去った。
それを見届けた暗部はすぐさま火影へと報告するために里へと駆けた。
静けさを保つその森は何事もなかったかのように、太陽の光すら遮断する闇を作り上げていた。
***
下忍へと昇格したばかりの十代の子供はスリーマンセルで行動するのが習わしである。
今年度の下忍昇格者は前回よりも上回った9人が下忍へとなることを認められ、スリーマンセルが上忍によって組まれた。出来た三組の下忍チームはそれぞれ上忍の担当者が教育者として配属される。
そして今年度の教育者として選ばれた三人が、同期として忍里に名を馳せた者たちが火影の命によって推薦された。その中でも唯一異彩を放つのが、銀髪の男だった。
"元"暗部であり"現役"の暗部でもある。
表向きは火影の命により暗部としての任を解かれた男は下忍の指導官として任命されている。だが、今の木の葉の里は希にみないほど人手不足に陥っている。そのお陰で表向きは暗部としての任を解かれていながら、夜な夜な暗部としての任務を言い渡されているのだ。
そしてもうひとつ。この男に託された唯一無二の存在を監視監督するのが本来の任務だった。
「本当によろしいので?」
「かまわん」
完結に述べられた言葉に異存を返すことは不可能だ。何故ならば、目の前の椅子に座る御仁こそが、木の葉の里の里長・火影であるのだから。
眠たげに目尻の下がった瞳は胡散臭さを醸しだし、顔半分を覆った布の下は喰えない笑みを浮かべていることだろう。
里一番と言うには誤認があるようだが、実力はお墨付きの人選であると言うことは間違えない。ただ、問題は目の前に鎮座した忍びの性格にあった。名をはたけカカシと言う。
かつて火影の名を背追っていた男の教え子であり、その男が残した唯一無二の存在を預けるのには打って付けの存在である。
「はたけカカシ。これをもって、下忍第七班の教官及び"うずまきナルト"の監視監督を任命する。一存はないな」
「はっ。謹んでお受けいたします」
「頼んだぞ、カカシ」
老成した火影の面差しは酷く愛悲漂うものだった。
それを見つめるカカシの瞳は全ての感情を削り取られた冷たい光を灯している。
「俺ってば、火影になるんだってばよ」
何度も聞いた台詞。それでも己の意志を曲げない子供に何度も嫉妬した。
泣くことを知らず、怒りのやり場すら分からないほど人の温もりに飢えた子供。
里の禁忌として死ぬはずだったその命を繋ぎ止めたのは、他でもない火影の意思。
そして火影によって守られた世界で一生生きていくはずだった子供は、何を間違ったのか火影によって世界へと出てきた。
一生あり得ることのない夢を語り、知ることのない現実から目を背けた大人によって作られた世界で生き続ける。哀れで滑稽な子供。
それがはたけカカシの"うずまきナルト"への思いだった。
その思いは初めて"うずまきナルト"と出会ってからも変わることなく、現在進行形で継続中である。
だから、突然目の前でそう宣言した子供が今にも泣きそうな顔をしているのが不思議に思えた。
傷みを絶えるように噛み締めた唇や強く握り締めたく節が色褪せ僅かに震えていた。
何を今更、と笑う子供たちの前で"うずまきナルト"は僅かに俯いていた。
丁度目の前で宣言されたカカシ以外、"うずまきナルト"のその顔を見ることは出来なかっただろう。
午後の昼下がり。いつものようにショボイ任務を終え、一息入れた時だった。
突然の宣言に終わった昼食と嘲りと笑いが飛び交う。
「お前には無理だ」と言った悲劇の子供。
「無理無理」と言ったミーハーの子供。
沈黙を守る大人は読みかけの本に視線を落とした。
「俺は、火影になるってばよ」
力無くそう言った子供の言葉に耳を傾ける者は既にいなかった。
泣き出す一歩手前の、悲痛な表情は誰の目に見ることも出来ず、子供はただ虚無に襲われた。
またか。と子供は言う。
未だ世界から拒絶された存在であり続け、そしてこれからも世界は己を拒絶し続けるのだ、と。
子供にしては幼すぎるその顔を俯かせたまま、伸び悩む身長は同年代の子供達よりも低い。
人の温もりも愛情すらも与えられることの無かった子供の声を聞きとげる者はこの場には居ない。いや、世界中捜しても育て親と言う木の葉の火影以外いやしないだろう。
かの老人ももしかしたら、子供の声を聞きとげる事も出来ないでいるやもしれない。
罪と罪業に呵まれ、道を誤ったかの老人には、少しだけ荷の重すぎるものだった。
時は無残にも過ぎ去り、子供が大人へ大人が老人へと時は移り変わる。
それでも変わらないものがあるように、彼の子供も変わることなく存在していた。
子供の育て親だった三代目火影はその生を全うし、新に立った火影により庇護されるべき子供は里から姿を消した。
"禁忌"と呼ばれた場所がある。
そこは三代目火影によって封印された場所だった。誰もその場にはいることも見つけることも出来ないその場所で、ひっそりと息づく吐息を聞く者は既に何処にも存在しない。
彼の老人がなによりも危ぶんでいたことが、己の死によって訪れたことは知りもせず静かな眠りへと誘われていた。
善悪の判断を放棄した大人と犠牲者となった子供。
かつて"禁忌"と呼ばれた子供は"禁忌"に相応しく。腹に隠された紅き狐は静に笑った。
泣けない子供は静に全てを受け入れ、笑う大人は安堵する。
それが一番の最善策だと笑い。子供は闇の淵を彷徨う。誰も見つけることも知ることもなく、安泰だとうそぶく大人と隠された子供。
かつて友と呼んだ子供たちは全てを否定し、目を背け、大人へとなった。
大人だったモノは口をつぐみ、何事もなかったかのように振る舞う。
何が最善か、何が正しかったのか。
ただひっそりと笑う紅い狐が闇の淵より目覚めるのは後数刻のこと。
何も知らず、目を背け、口を閉ざし、耳を塞いだ人間たちをその闇へと誘うのは、偽善と言う名に踊らされた子供だった。