昔から人より歳をとるのが遅く、童顔だと思っていた。
二十代の時には十代前半に見られていた。老けて見られるよりはまだマシだと言い聞かせ、三十代の時には十代半ば。四十代の時には周りから不思議がられる程月日が流れないまま十代後半から一向に上には見られる事はなかった。
驚異的な童顔だと驚かれるよりも笑われた。
年齢に比例して歳をとる友人たちが心底羨ましく、同じ年代の女性からは羨まれた。
あれ、これは無いんじゃね?、と思ったのは五十代後半。未だに中学生。よくて高校生に間違われていた。
流石にこの時から笑っていた友人たちからも不審な眼差しを向けられ、六十代の時も七十代の時も一向に変わらない容姿。不審がられるのを通り越して不気味がられた。
その頃には人目を避けるように引きこもり生活が続き、気が付いたら思いの外時が過ぎていた。
余りの怠慢さに呆れるよりも変わらない容姿に嫌気がさした。
その頃には世間では生きているか死んでいるか分からない身の上になっていた。笑えない冗談だ。
あれよあれよと月日が流れ、生死の境よりも存在自体知る人間がいない中、ふと気が付いたのだ。
俺、まだ結婚してない。
あまりの衝撃に結婚以前に一度も彼女がいた記憶がなかった。
これはまずい。まずすぎる。
いくら童顔とは言えそこそこ歳はとっていた。
世間的に言えばロリコンと後ろ指さされるほどの歳の差だ。
どうしようどうしようか、と思い悩んで季節が三回ほど巡り、出ない答えに思考を放り出した。
物臭な性格がたたって引きこもり生活が続き、傾いた家が修復出来ないほどの有り様になり、御近所からは無人だと思われて仕方ないぐらいには敷地内は伸びっぱなしの草に所々朽ちた外観。人が住んでいると考える方が不思議なくらいだ。
ここまで来て漸く重い腰を上げた。
見上げた見馴れた家とは到底思えず、よくここまで持ちこたえてくれたものだと感嘆した。
古びた家から漸く出てきた家主に御近所中が騒然となったのは記憶に新しく。しかも家主が十代。いくら童顔と言えども信じてくれる御近所さんはいやしなかった。
みずぼらしい家の修復には相当時間が掛かるらしく、これは建て直した方がよくね、と思い立ってみたが先だつ金がなかった。
かつては新築一軒家に母親と暮らしていた住み慣れた家を泣く泣く手放すしかなかった。
これからどうしようか、と路頭に迷うはめになった。今更ながら世の中の流れが凄まじく過ぎ去っている事に気が付いた。
そこには見馴れた街並みはなく、見知らない世界が広がっていたのだ。
少しの間は公園にでも住もうかと考えてはいたが、どうにも住める気がしない。
リーゼントに学ランの集団。統制された姿に目眩がした。
周りを見渡しても何故だか時代遅れの集団からそそくさと立ち去る。今一よく分からない世の中の流れが身に染みると言うか何と言うか。
ぶっちゃけ痛いです。物理的に。
目尻に涙が滲み始めた。御近所さんたちがこの集団から目を反らし、そそくさと立ち去っていた意味が漸くわかった。
そりゃ逃げるよな。こんな暴力リーゼント集団から。
その中心にいてどこか見馴れた姿に目が止まる。周りがリーゼント集団だからこそ浮いた存在。切れ味のいいナイフの様な目は肉食獣のようだ。
嫌な汗が背筋に伝う。
どこか見馴れた容姿も相まって駆ける恐怖は本物だ。
何処から取り出したのか分からない鈍器を振りかざす様は嬉々としている様に思えるのだが、見間違えであってほしいかも。
振り下ろされる鈍器の隙間からリーゼント集団の可哀想な者を見る様な眼差しに泣けてきた。
これなら倒壊するまで家の中に引き込もっていた方がよかった。目尻に溜まった涙が零れた。
中学時代の恐怖を体験しているかのようだ。
あおい。何処までも蒼い空が無性に恋しく思えてならない。
怪訝な視線からびっくりしたかの様な視線に笑えた。
殴って叩いてボコボコにした男が突然大泣きしているのだ。怪訝に思われても仕方がないが、流石にこれ以上殴られるのは頂けない。
びーびー泣き出した男に不機嫌になっていく空気を感じた。流石にこれ以上は、と止めにかかったリーゼント集団に更に不機嫌になった空気が空を切った。
ポロポロと未だに止まらない涙に霞んだ視界からごめんなさい、と謝っておく。
きっと巻き添えを食ったリーゼント集団は悪くないと思うんだ。
気晴らしにもならないのか、思う存分暴れていたと思ったのに鈍器を握りしめたまま振り返った姿は中学時代に散々つつき回された先輩に酷似していた。
やはり時間の流れを感じてしまった。
「何笑ってるの」
余裕だね。と言われて気が付いた。久しぶりに笑っていた。それだけじゃ無いけど、何だか無性に嬉しかった。
更にムッとした表情が可愛く思えたのは年の功だろう。そうでなければマゾに目覚めてしまったか。
振り下ろされる鈍器。綺麗な真っ黒な瞳と視線が絡み合った。
ニヤリと口元が緩んだのを自覚する。
見開かれた瞳の中に散々見馴れた童顔が写り出されるのがわかる。
一癖も二癖もある先輩がそこにいた。
頭を直撃するはずだった鈍器はその寸前的を失った。ふわふわな癖毛が重力に逆らい視界を覆う。
あぁ久しぶりだ。
運動も勉強も満足に出来なかった学生時代。唯一の特技が中学時代の先輩によって成された事は涙ながらに語るしかない。その先輩の暴虐で俺様な性格と容姿をもった男に忌まわしい記憶を呼び起こされる。
出会い頭にボコボコにされるのは馴れている。毎日がバイオレンスに基づいていた生活だった。
そのお陰とは言われたくないが、少しは危機を回避することになれた。主に暴力的な先輩から逃げることに役立ってはいたが、まさかまさかの展開にちゅっびり浮かれてしまった。
あはは〜、な展開だ。鈍器を両手に持ち、嬉々として打ってくる姿がかつての先輩を沸騰させる。
引きこもり生活に慣れた体が悲鳴を上げる。それでも必死になって避けるのは気を抜こうならばそれこそボコボコにされて放置されるだろう。目に見えてやりそうな性格だ。
伸びっぱなしになっている髪が視界をさえぎり邪魔をする。今更髪にかまけている暇はないが視界が遮られるのは頂けない。
体ごと横に飛びはね、視界をさえぎる髪を引っ張り視界をクリアにした。振り返った視線には待ち構えたかのように鈍器があり一瞬の判断が命取りだ。
上体を屈め振り下ろされた鈍器を片足を振り上げて勢いを止める。バランスを崩したのを見計らい畳み掛けるように振り上げた片足から更に重心を回転させ一気に振り下ろす。
思いの外イイ音を響かせ頭上にヒットした。
あぁ痛いだろうな。
流石にやり過ぎたかな、といい歳した大人がやることじゃないだろ、とそろりと片足を引いた瞬間下から鈍器が迫ってきた。
どうやら強靭な肉体をお持ちのようだ。
躊躇いなどなかった。
顎下目掛けて足を蹴りあげ、鈍い音がした。
振り上げられた鈍器が頬を掠め、ピリッとした感覚に眉に皺がよるのは仕方がないだろう。
このまま目を覚まさないでくれたらありがたい。
小さく溜め息を洩らし、久々に馴れないことをするんじゃなかった。
膝がガクガクしている。明日はきっと筋肉痛に悩まされるに違いない。
晴れやかな空の下、中々体に染み付いた習性は取れないのだと知った。
膝から地面に倒れるのを止めることは出来なかった。
どこか遠くで足音がした気がする。
誰でもいいから助けてくれないかな。
淡い期待と掠れる視界に胸の内がスカッとした気がする。




◆◇◆◇

記憶は何時も曖昧だ。
ただ単に記憶力がないだけなのだが物忘れが酷いのだ。これは世に言う歳のせいだろうか。笑って誤魔化しがそろそろ効かなくなって来た頃、ふと思った。
いい加減な性格が災いしたのか、自分の年齢を忘れていた。
確かに記憶にはあった出来事なのだが、それが何時だったのか忘れていた。
懐かしい面差しをもった彼もまた、いつの記憶だったのか。
現実味が人より乏しい気がした。
「君は誰?」
思いは言葉に。怪訝な表情で答えた少年に少し笑えた。
まだ幼さが残る頬のライン。ややつり上がった目尻とか、とても懐かしくて仕方がない。
だからこれも仕方がない。
「雲雀さん」
懐かしくも暖かい人。
孤高の浮雲だと言われた人はいつも解りづらい愛情表現をしめす。純粋とは程遠い性格なのに何処までも純粋な子供だった。
見開いた瞳はいつにまして綺麗な輝きがあった。
「やっと会えた」
それは安堵感に似ていた。
まるで野良猫の様な性質を持ちふらりと現れては突然居なくなる。出会った当初からそれは変わらず、それが野良猫の様だと話した事があった。
ただ笑っていられた数少ない記憶。
着かず離れず。気が付いたら時間だけが過ぎていた。
こう言ったら笑われるだろうがその存在に救われていたのだ。
「謝りたかったんです。雲雀さんに沢山迷惑かけて、でも何も返せなかった」
ごめんなさい。
呟いた言葉に驚きの色が濃くなった真っ黒な瞳を見つめた。
やっぱり綺麗だな、と思う。
孤高と言う言葉が似合う人。
だから・・・・。


間近に迫った瞳から目を反らす。
それしか出来なかった。
困惑から驚き。やはり困惑の方が高かっただろう瞳の奥に似通ったモノを拾った。
厳しくも優しい人が目の前にいた。
一度閉じた瞼の裏に鮮明に蘇る姿はいつも真っ直ぐ伸びた背中だった気がする。