「これは契約だ」
ありふれた言葉の中に織り交ぜられた棘はまさに鋭利な刃物となった。
職人が作り上げた繊細かつ端正な顔立ちを持つ男の何処か冷たさを感じさせる表情は侮蔑を含んでいた。
「 君と 僕との 」
一糸纏わぬ姿を見下ろす光彩が胸の内すらも射殺すかのように向けられた。それが痛いと感じるのは思い違いだろうか。
一歳しか違わない年齢差がやけに大きく感じられる瞬間だ。
ありふれた出会いとは言えない、むしろ一般的な出会いの方が難しかったのでは無いのかと思うほどの産まれた時からの因果関係によって出会ってしまった。
出会わなければ良かった、と思うほどの感情の由来を知らないでいたかった。
優しく穏やかで心の強い母親との二人暮らし。世間体に言うなれば母子家庭と言えるだろう。
それでも良かったのだ。優しい母親と一緒に居られさえすればそれ以上は望んではいなかった。例え家計が厳しくても幸せだった。
それが一変したのは母親の死からだと言うのは何の冗談だろうか。
降りしきる雨の中、車にひかれて即死だったという母親と病院で対面した時には涙一つ漏れなかった。
天涯孤独の身よりのない身へと一転して数日後、もともと母親の身内とは疎遠になって等しく祖父も祖母の存在すら知らずにいた。父親など論外でありこれから先、一生会うことは無いだろうと言う存在なのだ。
三日続いた猛雨がなりを潜め、晴天となった天候をぼんやりと見つめながら必要最低限の物資すら無くなったアパートは母親の死をもって解約された。
未成年で身元保証人すら居なくなった子供に部屋を貸してくれる人など誰だろうと居ないだろう。今日中に、と言葉を残して出ていった大家は生前の母親と親しく、母子家庭だからといろいろと世話を焼いてくれた人の良い人だったはずだ。
まるで厄介事はごめんだと言うかのような眼差しを向けられた時には世の中の非常さを知ったものだ。
テラスから見下ろす手入れされた丹精な庭園に心を和ませる所かまるで動物園の檻に入れられた動物になった気分に陥るのは何故だろうか。
母親の遺影の前、手を合わせて死を悼んむ男の背を見つめながら考えた提示された選択しに拒否権などありはしないと知りながらも選択を迫った男と、テラスから見下ろす男の背が同一人物の者とは到底思えない。
まるで看守の様な男だと、胸の内から沸き上がる抵抗感に苛立つ。
どこを見ても白一色に染まった部屋は築五十年建つアパートとは大違いの場所だ。こぢんまりとした母親と住んでいたアパートが今更ながら恋しく思える。
優しげ、とは言えない美麗な容貌と色彩に目を奪われがちだが精妙な人形のような無表情さが冷たさを醸し出している。
近寄りがたい、とはこの事を言うのだろう。
淡々とした言葉の裏に隠された絶対的な服従。選択肢を与えながらも本質は選択などありはしないのだ。巧妙に言葉を操る姿は理想的な指導者、とでも言うべきか。
人の上に立つ分には何ら問題は無いだろうが、人間に対して興味の薄さを感じさせる違和感。
深く漏らされた溜息を止める術など無く、降り注ぐ太陽の暖かな日差しが憂鬱な気分を浮上させるにはまだ足りないらしい。
生前母親と親交深い関係だと聞いた時には驚愕したが、親交どころか母親の元婚約者の息子。ひいては腹違いの義兄妹となる間柄だとは聞いていなかった。
無理矢理とは言い難い強引なやり方で身元引受人。身元保証人とも言える立場についた男は腹違いの義兄とはいえ、家族とは言い難い存在だ。
ほんの一歳差。されど一歳。
老成された、と言われる理知的だが機械的な態度は義妹を迎えに来たと言うよりも増悪の対象とも言える。感情を削ぎ落とした淡々とした声とは裏腹な紅玉が雄弁に物語っていた。
キラキラと輝く銀色の髪が太陽の下、幻想的な光彩を放つ姿は昨夜とは似ても似つかない。それが無性に腹立たしくも悲しい。
脳裏には未だ焼き付いて離れない昨夜の義兄の姿。これから先、おそらく一生消え去ることはないだろうと思えるのは何故だろうか。
冷めた紅茶へと手を伸ばす。
いつかは終わりが来ると知って尚、求めずに入られないジレンマ。義兄が余りにも哀れで、羨ましかった。