良くも悪くも人目を引く外見をもつ幼馴染みは、世間一般で言われる『美形』である。
形容しがたい、それこそ神々しいまでの容姿だと賛美される姿を良く目にする。それに対して曖昧な愛想笑いで答える幼馴染みの内心など、大人にはきっと分かりっこないだろう。
不愛想と言われるよりも人当たりの良い、だが愛想がいいわけでもなく。そんな幼馴染みは容姿もさることながら頭脳の方も特注である。
天才と馬鹿は紙一重、と言う言葉に心底頷けるほどの天才。
天然でどこかドジなそんな幼馴染みが誇りである。
蒼銀色の髪とか緋色の瞳とか。何処か幻想的な面立ちなのに、緋色の瞳は穏和な色に加え激情を孕んだ光彩を見せる時がある。
その時の幼馴染みは見惚れるくらい綺麗で、見慣れた顔立ちがより一層際立つのだ。
翡翠の瞳がひとつ、ふたつと瞬きを繰り替えし、コテリと小首を傾げた。
どちらかと言うと年齢よりも幼さを感じさせる童顔な顔立ちがさらに幼く見える。
可愛いな、なんて思っていることをおくびにも出すことなく翡翠の瞳を覗き込む緋色の瞳が至極楽しげに瞬いていた。
かれこら十数年以上のつき合い。幼馴染みと言うより兄弟に近い存在である片割れの目に鮮やかな金色の髪を梳きながら、翡翠の瞳を覗き込んだまま悲しげに緋色の瞳を伏せるのだ。
何処か芝居かかった溜息と緋色の瞳を縁取る蒼銀色の睫が儚さを演出した。
「すまない。ジョミー」
僕が悪かった。
やはり何処か芝居かかった悲痛な声で艶やかな金色の髪を梳く手をまろやかな白い頬へとのばす。
長年、それこそ生まれてからの付き合いである幼馴染みの演技に騙される程愚かでは無い。だが無碍に出来ないのが幼馴染みの憎たらしい所だ。
愚かな事に自身の美貌を盾にする幼馴染みの顔は嫌いじゃないのだ。むしろ好きの部類にはいるから尚更性質が悪い。
男にしては長めの睫が縁取り緋色の瞳を隠してしまう姿に胸がギュッと締め付けられてしまうのだ。
例えそれが演技だと分かっていても動揺する心を止める術はない。
「僕が悪かった。許してくれないか?」
パチリ、と瞬く大きな翡翠の瞳が右へと左へと忙しなく動くのは動揺している証だ。
「・・・・ブルー」
「ジョミー」
いけない、と思いながらも困惑を表すかの如く揺らぐ翡翠の瞳。それをチラリと見つめる緋色の瞳があった。
謝るくらいなら人の布団の中に潜り込んでこなければいいのに、という言葉は結局言えずじまいだった。
隣家に住む幼馴染みは生まれた時からの付き合いだ。
一般的な幼馴染みというカテゴリーには少々収まりきらない仲だが、家族以上に互いを感じられた。
ミュウと言う種族の特徴を数多もって生まれた色素の薄い幼馴染みにいつも振り回され、我が儘放題の自由奔放で傲慢だけど傲慢には見えない得な部分を併せ持つ奇特な幼馴染みは天才なのに何処か抜けているドジな部分も持っているから見捨てられないのだ。
庇護よくを擽る、とはよく言った言葉だと常々思う。
蒼銀色の髪と緋色の瞳に整った容姿。天才的な頭脳を併せ持つ幼馴染みは何処か老成した感がいやめない。
そんな幼馴染みをもてて嬉しいのだが、如何せん幼馴染みはどこをどう転ぼうとも世界は自分中心に回っているのだと思っているぐらいの性格を併せ持つのだ。
はっきり言って変人な変態だ。
これをいくら周りに言おうと信じてもらえた試しは無いのだが、幼馴染みが唯一頭が上がらないのが母親であるフィシスなのだ。
幼馴染みとは違った美を持つ女性であり、母親と言われてもしっくり来ないほどの幼さを持つ美貌の持ち主だ。
淡い金髪と澄んだ蒼色の瞳。春の女神の様な女性だと、近所ではもっぱらの噂だ。
そんな母親に対して幼馴染みは変な呼び方をする。
『僕の女神』なんて呼ぶ姿を見たときには一瞬あらぬ事を想像してしまったくらいだ。
そんな二人の親子関係は世間一般とは少々変わっている。
二人がミュウだから、と言うわけではなく、親子と言うよりは恋人。恋人というよりは友達。友達というより同志。
そんな言葉があいそうな二人揃えば天然だ。
朝、目覚めと一緒に感じた暖かい包み込むような体温。
一人っ子の一人部屋なのに他人の体温を感じるのは甚だ疑問も残ることだろうが、日常とかしたそれに今更何を言えばいいのか。
幼馴染であり家が近所。同年齢の幼馴染は夜の夜の人の部屋に押し入り、勝手に人の布団に潜り込むのが趣味の天才(天災)少年である。
何度注意しても翌朝には人の布団で意気揚々と寝ている幼馴染に脱力し続けて早数年。
いい加減慣れたとはいえ、鬱陶しいことには変わりは無い。