ブルジョミ前提キスジョミ

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 夜 の 蝶 


 人類がたどるべき道は果たして正しかったのだろうか。
漠然とながら胸をかける不安。
護りたいと思う反面、破壊衝動に駆られる。
つくづく不思議だ。
安定しているとは言い難い精神。それでも他者より図太いらしい。
苦々しく旧友の歪む顔を思い出せる。
キラキラと輝く記憶が眩しいと思えなくなって久しく、記憶の曖昧さに苛立ちさえ覚えるのだ。
隣に立つ友人は本当に僕の友人なのだろうかと疑問に駆られる。
 何故こんな気持ちになるのだろうか。
グランド・マザーのお膝元、監視・監理されるのは生まれる前からだ。SD体制は順調に進んでいる。
今更非難を口にするやつはいないだろうが、不安は常にある。
母親が恋しいわけでもなく、今の環境にストレスを感じるわけでもなく『なんとなく』感じるのだ。
そんな曖昧な言葉を口にすれば旧友は途端に渋い顔をする。理解不能だと言われているようで居心地はよくないが、旧友の言いたいことはよくわかる。
グランド・マザーの監視下で言葉は慎むべきだ、と旧友は言外に言っているのだ。
流石に連続コールされるのはいただけないだろう。
コールされた日などは決まって旧友が無表情ながら憤りを表していた。
普段、滅多なことでは感情を表さない旧友の変化を喜ばしいと思えるのは仕方がないだろう。だから旧友の機嫌を害わないように配慮する気はまったくと言っていいほどなかった。
伸びはじめた前髪を鬱陶しげに振り払いながら未だに湯気が立つ珈琲を啜った。
幼さが抜けた頬のラインは精悍さを増したようだ。
鋭さを感じずにはいられない目尻は学生時代には滅多にお目にかかれなかった穏やかさがある。つき合いだけは長い旧友の容姿は一般的には美形と称される部類にはいる。
確かに顔だけはいい。
少々性格がわかりにくいというか、一般から見れば無だ。鉄面皮なんて呼ばれるくらい表情に乏しく、この旧友は本当に損な性格をしているとつくづく思うのだ。
そんな旧友との慣れ始めは微かにしか覚えていない。曖昧な部分が多すぎるのだ。
覚えていない、のではなく、記憶自体が無い、のだ。
断片的な光景を思い出そうとすれば思い出せる。それなのに肝心なところは全くと言っていいほど無いのだ。それがどういう意味なのか答えを出すのに未だに迷っている。
 流麗な眉を寄せ、もの言いたげな表情を見せる旧友の心理的状況を察し苦笑する。
苦労性、と表現できるほどの旧友は、確かに苦労しているのだろう。眉間に寄った皺を見ればよく分かるというものだ。
どちらかと言えば男性と言うよりも女性に近い中世的な顔立ちを持つ部下のオロオロとした態度と涙目の表情を見ればさらによく分かる。
気が小さいと言うよりも自信がないと言うべきか。メンバーズに所属しているのだからエリートだと言えるのに、未だに自信なさげな表情と態度は小動物めいて可愛い。
不要な噂を流されているであろう旧友とその部下。噂したくもなる麗しい見目が仇となった、と言うべきか。二人並べば目の保養にはなる光景だ。
 ズキズキと痛む頭に眉を寄せ、食欲を誘う香ばしいかおりにお腹がグーと鳴く。それを微笑ましいとでも言うかのように珈琲を一口含んだ旧友はやはり珍しく笑みを口元へと浮かべていた。
穏やかな、どこにでもありそうな平凡な朝の光景。身に纏うのが軍服でなければなおさら穏やかな日常の始まりといえただろう。
 夢見が悪かった。寝不足気味にズキズキと痛みを発す頭を抱え、朝食の席は緩やかな雑音に満たされていた。
対面に座る旧友こと、キース・アニアンとその部下、ジョナ・マツカ。遠巻きにこの席へと視線が集まってくる。意識しなくても存在感あふれる二人を前につきたくなった溜息を飲み込んだ。
 地球再生機構・リボーンに赴任し、地球へと足を踏み入れたのは数年前。
これでも一様、エリートと呼べるぐらいには勉強してきたつもりだ。キースの様に器用貧乏に何事もできたわけではない。
再生途中とはいえ、人類の憧れであり母なる場所、地球。
マザー・コンピュータの監理の元、足を踏み入れることができた地球は思っていた以上に荒廃し、現代的だった。
地上は荒れ果てた大地に覆われ、人間は生きていくことはできない。地下に作られた移住区からでることは出来ないとは言え、地球は地球なのだ。
今ではありふれた日常の一部となっている。
そんなありふれた日常はこの数分前までは確かにあったのだ。
 通称・Mと呼ばれる存在。
マザー・コンピュータによって一部の人間のみ知らされていた存在は人類は敵と呼ばれる。
そんなMと呼ばれる存在が、この地球へと降下を宣言したのだ。国家元首との対談のために。
その国家元首が目の前でのんびりと珈琲を飲んでいる。
精悍な面立ちは一変の変化もなく、むしろ通常よりも一段と落ち着いているように思えるのは気のせいだろうか。
珈琲にミルクと砂糖。ブラックはどうにも口に合わず、スクランブル・エッグにフォークを入れた。



 うららかな日差しに金色の髪が反射して太陽のようだ。
漆黒の艶やかな髪と瞳を持つキースとはまるで正反対の色合いだ。
だが、マツカはそんな二人を見るのが好きだった。穏やかな気性とは言い難いが誰よりも優しい、まさに太陽のような人だと、マツカはジョミー・マーキス・シンにキースとは違った憧れを抱いていた。
国家元首となったキースと唯一対等であれる存在。どこか脆い部分を持つキースを理解することは出来ても介入出来ないマツカにとってジョミーはまさに救いなのだ。
盲目的、と言ってしまえばいいのだが、どこかキースに依存しているマツカである。
いつもより機嫌のいいキースの横顔をチラリと眺め、対面に座るジョミーにホッとした。
 Mと呼ばれる存在の不確定要素をあげればきりがないほどだ。
不安がないわけではない。
マツカにとってキースは命を捨てていいほど大切だが、それと同時にジョミーも大切なのだ。キースとは違った感情だが、確かにマツカにとっては掛け替えのない存在と言える。それはキースにも言えることだ。
 ジョミーは眉間の皺をほぐしながら珈琲とは言い難いミルク珈琲を啜っていた。
数時間後にはこの地球周辺にMの母船が到着する。その意味を知らない人間は此処にはいないだろう。国家騎士団が周辺警備に回されているのだ。
キースの護衛官であるマツカは周りを見渡した。
穏やかと言える空間は緊張感さえ伺えない。いつもと変わらない空間だ。
それがあまりにも異質に思えるのはマツカの思い違いなのだろうか。
着実に世界は変わろうとしている。それを肌に感じるのは、この二人がそれを願っているからに他ならない。
若い世代がこの二人を中心に集まってきている。それはマツカにも言えるのだが、実力の有無に関係なく惹かれる何かが二人にはあった。
深い緑色の瞳と黒耀の瞳。見据える先は一緒なのだと知った日からマツカにとって唯一無二になってしまった希望なのだ。
 世界は静かに、だが確実に動き始めていた。








☆★☆



 よく昔を思い出すのは程良く年をとったせいだろうか。
紅い光彩が微かに細められ、麗人の小さな溜息を聞き止める者はいなかった。
薄暗い室内が仄かな蒼色染まるのは幻想的に思える。それでもなお、この室内の主の儚さがより一層増すばかりでしかない。
時代の流れが感じられない空間。全てを内包しながらも何処か拒絶する冷たさ。
紅い光彩がより一層憂いを孕む。
まだ、溜息が紡がれた。
 光が見えた、と女神が予言した。
幾年と時間だけが過ぎ去る中の希望の光だと、女神の予言に心躍ったのは記憶に新しい。
だが、今ではそのときの感触が分からない。
確かに女神の予言は的中した。
産声とともに感じた胸の内から沸き上がる喜び。それは誰もが感じただろう。
人生の大半を永らく共に戦った友たちは次代に期待と不安に揺れながらも感激を露わにした。
待ち侘びた光は強く。生命の息吹をつよく、強く感じたのだ。
体中から沸き上がる喜び。心躍る嬉しさ。今か、今かと目覚めの日を待った。
沸き立つ心に比例して体中を暗い何かが横切った。
それは日に日に浸食を始め、ジワリジワリと広がり始めた。不安が露頭し始めたのだ。
永らく感じなかった言葉には表しがたい不安。それは光を予言した女神もまた、感じていただろう。憔悴していく女神にかける言葉はなかった。
何度も繰り返し捲られるカードは行く末を照らさず、女神は涙した。
はやく、はやく。急ぎたてられる様に駆けだした。
人工の太陽の下で眩しいほどの笑顔を浮かべた幼子に。
 繰り替えし見た光景は何度も胸を抉る。
鋭い刃は鼓動さえ止めてしまうほどの鋭利だ。
何故、と何度も何度も繰り返した言葉は静かな室内に反響した。
今は感じることの出来ない鼓動に紅い光彩が瞬いた。
それは絶望に似ていた。
胸の内がポッカリと空いた感触。どんなに否定しても拭いさる事は出来ない。
日に日に窶れていく体とは反対に、紅い光彩は冴えていく。
それと同時に体中から何かが漏れ出ていく感触に悟った。
 時間がない。
何もかもが時間がないのだと、知りたく無かった時が来た。まるで両の手の平から漏れ落ちる砂粒の様に命の灯火が目の前に迫ってくる。
 怖くはない。
ただ時が悪すぎた。
静寂が支配する室内から出ることが出来なくなっていく体が恨めしい。
薄暗い室内に紅い光彩だけが爛々と輝いている。常に体は休息を求めている。眠りに入ればいつ目覚めるか分からない体に後悔ばかりが募るのだ。
美しい金色の髪を持つ女神が涙に暮れるのを知りながら手を差し伸べてやれない自信を気遣い、気丈にあろうとする女神が痛々しい。
それでも手を差し伸べてやれなかった。
 あけない夜は無いという。
 だが太陽が姿を隠したい今、朝は来ないのだ。







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