彼が言った。悪戯を企むガキ大将の様にニヤリと笑った彼の言葉を聞いた瞬間、目眩と頭痛に襲われながらも、なんて彼らしい、と思ってしまった自分に嫌気が差した。
士官学校に通う学生が住む宿舎の朝は怒濤のように込み合う食堂が戦場だった。
先輩後輩の上下関係の厳しい世界を生き抜くには謙遜とゴマすりぐらいは持ち合わせていなければならないだろう。目立つ者は潰され、逆らう者は消され、規律は程良く学生等を軍人へと仕立て上げる。
そんな中で、今年度の新入生である橙色の髪と勝ち気そうな瞳を持ち幼さの残るその顔立ちが印象的な少年とも青年ともつかない彼が唯一目立つ存在だった。
色鮮やかな色彩のせいか、それとも彼が纏う孤高のような雰囲気か。どちらにしろ人目を引く彼が上下関係の厳しい士官宿舎で生き抜くのは至極大変なことだろう。仮にも、同期となってしまった小島水色にとって有り触れた宿舎生活の中のひとコマに過ぎなかった筈なのに、何処をどうしたら彼という人種に関わってしまったのか。色褪せた世界に色鮮やかな色彩をもたらしてくれた彼は、只今朝食の戦場を駆けていた。
セルフサービス式の食堂で、早い者勝ちの食いっぱぐれが出る朝食。
芳ばしいパンの焼けた香りとカリカリのベーコンとフンワカ卵。食堂の一角を陣取った彼・黒崎一護の食欲は底抜けのようだった。
和食と洋食が揃った朝食で、彼は和食が好きだと言った。大盛りに盛られたホッカホカの白いご飯。焼けた魚と香り立つみそ汁。彼の大好物の辛子明太子。自然と緩んだ頬が余りにも幼さを強調させ、いつも眉間に寄った皺が薄れているのが見て取れる。同年代と言う彼は通常なら深く刻まれた皺と不機嫌そうな雰囲気を纏っている。愛想笑いすらない睨み付けるような視線と不器用さは彼と出会って一ヶ月もたたないうちに照れ隠しだと分かった。口数がめっきり少ない彼は本当は照れ屋だと言うことを知っているのはごくわずか。そして何より、見かけよりも笑った顔が案外幼いのだと知った。
彼・黒崎一護との出会いは入学早々上級生に絡まれていたのをたまたま目撃したところから始まった。
周りとは違った毛色の彼は眉間に寄った皺と睨み付けるような視線に誰もが近寄りがたかった。
目立つ外見がいけなかったのか、それとも睨み付けるような意思の強い瞳がいけなかったのか。どちらとも言えるだろう彼の存在そのものに上級生は因縁つけた。
喧嘩上等だと笑った彼はいかにも極悪人の様であり、目を惹いた。
校舎裏とは在り来たりな三流な場所で、彼は盛大に五人の先輩と渡り歩いていた。
殴り殴られ、蹴り蹴られ。それでも彼が有利だと一目で分かった。仮にも、来年度卒業と同時に軍人となる体格の言い先輩方の無残な負けっぷりに目も当てられない。それでよく卒業できるものだと思ったのは心に留め置き、口端の血を拭いながらさすがによれよれな彼は頬に僅かな痣を作っていた。
「よう」
それが彼との最初の接触だった。
不機嫌そうに寄った眉間の皺や真新しい制服にこびり付いた血や痛そうな青あざや。全てが彼という存在を引き立てる要因でしかなかった。
世界情勢が未だ安定しない世界で、軍人になる確率が大幅に増えた今生。
平和主義が軍事国家へと成り代わり、世界は未だに戦争を続けていつ死ぬか分からないご時世の中で、彼だけがまるで違う生き物のように見えたのはただの錯覚だったのだろうか。
気軽に片手を上げた彼に興味が湧いた、と言えば嘘になるだろうか。
今までの色褪せた世界が色鮮やかに変わった気がした。
窮屈で退屈な日常。興味も期待もなく、親の言うままに入れられた士官学校で出会った彼。
「僕は小島水色。君は?」
「黒崎一護だ」
ぶっきらぼうに呟かれた言葉。世界が反転した。
まずは、どう言って教員に言い訳するか彼と共に考えることが始まりの一歩なのかもしれない。