世界が混沌とした時代。争いの戦渦は止む事を知らず、世界を覆い尽くした。
至る所で起こる争いは飛び火し、更なる争いを産んだ。
そんな中、かつては平和主義を掲げた国々が軍事国家へと変貌していった。軍事強化された国家は私欲と権力に溺れ、腐敗した国を産み、世界は争いの中心へと踏み入ったのだ。













「浦原将軍!!」
「おや、黒崎サンじゃないッスか」
 低血圧気味の男は朝に滅法弱いと言う事が分かったのは、男の部下になってから一週間もたたないうちに判明した。
そしてこの目の前でいかにも寝起きです、といった風貌の男はあろう事か執務机に溜まった書類を放って呑気に昼寝をしていたのだ。そのお陰で今日中に決済を終らせなければならない書類が溜まりに溜まっている。それでも呑気に昼寝をしていた男を今この場で殺したいほど憎い。
「将軍。今日中に決済を、とお願いしたはずですが」
 まだ終わってないみたいですね。
溜息混じりの言葉に、大あくびを噛み締めた男はその姿勢のまま一時停止した。
「えへへへ・・・・」
「キモイですよ、将軍。それよりも書類、よろしくお願いいたします」
 着崩した制服から覗く白い肌が艶めかしい筈のなのに、目の前の男は頓着した風もなく所々飛び跳ねた枯れ草色の頭を掻きむしっていた。
眠たげに細められた紫暗の瞳が何処か悪戯めいた光を称えている。着崩した制服の内ポケットから取り出した煙草に火を灯し、天井へと登る紫煙から甘い香りが漂う。通常男が纏った、薫り高い甘い香り。
ふと、そう言えば出会ったばかりのこの男も今のように怠慢気味に着崩した軍服に煙草を吸っていた、と我ながら進歩のない男に深い溜息が漏れる。
「どうしたんす、突然」
 突然重い溜息を漏らす少年を三十代を目前に控えた男が小首を傾げるのは少々不気味だと思わずにはいられない。 「いえ、そう言えば初めて将軍に初めてお会いしたときも・・・・」
 不意に途切れた言葉。塞がれた唇は男の思うように貪られ、口端から漏れる吐息は色を纏って男を煽った。
「っ・・・。将軍!!」
 角度を変え、何度も重なる唇。漏れる吐息も喘ぐ声も、全て男によって持たされた快楽。
「慣れないッスね」
 楡喩するように漏らされた言葉に頬と言わず顔を紅くする少年を男は嬉々として細腰に回した腕に力を入れた。
「っん」
 またか、と呆れるほど男が求めるのは艶とは程遠い色恋沙汰に疎い少年の身体だ。途方もないほど男の求めるものに羞恥に頬を染めた少年は普段の姿からは想像も出来ないほど艶めかしい。
出合った頃と変わらず男は少年を陥落させるのが上手い。整った顔立ちと深い紫暗の瞳や枯れ草色の髪が男を更に引き立てている要因でもあるせいだ。
 すっぽりと腕の中に包まれ思うがまま貪られる少年の身体に男の体温が良く馴染んでいた。
「・・・将軍!!」
 非難めいた声を無視して唇から首筋へと下りた男の唇は強くその場所に吸い付いた。
紅く咲く華の如く、少年の色白の肌によく目立つ印。
「なっ・・・・」
「うん?」
「ちょ・・・あんた、何考えてんだ!」
 いくら軍服の襟元でも隠れるはずのない紅い華に狼狽えた少年の眉間に皺が寄った。
黒地の軍服によく映える橙色の髪と意志の強さを物語る鳶色の瞳。いつも不機嫌そうに寄った眉間の皺が通常より二割増しはこの際無視を決め込んだ。
十代後半を迎えたばかりの少年とも青年とも取れにくい顔立ちは未だに幼さが垣間見える。
平均身長よりやや高めの身長よりも細身の躯は程良く付いた筋肉を覗けば、やはり細すぎる体型をしている。それが男をそそる要因だと言う事を自覚していない少年はやはり艶を帯びた鳶色の瞳で睨んでくる。
潤んだ瞳の端に微かな雫を称えて睨んでも、男を誘っているとしか取れないと言うのに、いい加減自覚してくれればいいと、男は思うのだ。
ここまで天然すぎる少年に、一抹の不安が過ぎる。
「はな・・・せ」
「いやです。ここで放したら、アナタ逃げるでしょ?」
「当たり前だ!」
 既に敬語すら放棄した少年は回された男の腕から逃れるように身を捩る。それが無意味に終わるのは既に身に染みているはずなのに。
くすり、と笑った男は無駄足掻きを続ける腕の中の少年を見つめた。
男の所有印の如く紅い華が黒い軍服と白い肌に厭に浮き彫りになっている。そこを指の腹でなぞれば、ビクリとそれこそ大袈裟なほど肩を揺らす少年の顔が更に紅く染まった。
 可愛い。
そんな事を目の前の少年に言った日には、肘鉄と一週間のお預けを喰らう事となる。既に実証済みなのだから質が悪い。
「黒崎サン。少し大人しくしてて下さいネ」
 語尾にハートマークが散乱するような言葉に、ハイそうですか、と頷けるはずがない。
「いや。それよりも仕事しろよ。変態」
 ドス。
そんな擬音があいそうな重たい音と共に襲ってくる痛み。
蹴り上げられた腹の痛みは彼が副官になってから何度目だろうか数え切れないほど受けた傷みだ。それでも懲りずに手を出しては蹴りと拳が飛んでくるのは既に日課と言うほど日常に溢れている。
「さっさと仕事しろよ」
 そう言い残して退室した少年と苦笑を漏らす男が室内に残されたまま。




 漸く太陽が傾き始めた午後のある日の出来事だった。
初めて銃を握った時、目の前の男は静に笑っていた。
まるで神聖な行為をするように握り締めた銃口を額に押し当て、笑っていたのだ。
「アタシを殺してくれません」
 全てを放棄した男が言った。
退屈で、退屈すぎて暇を持て余しているのだと、男は生きることも死ぬことも放棄した紫暗の瞳で笑っていた。
握り締めた銃と定まった銃口は男を捉え、笑った男の顔が安堵する様を見た気がした。
強く、男の腕に捕らわれた指はそのまま少しだけ力を加えれば男のこめかみを打ち抜くだろう。それを期待するように紫暗の瞳が目の前にある。
悪戯を思いついた子供のような、そんな輝きが深い紫暗の瞳に浮かんでいる。
いい知れない不愉快さが沸き上がるのを止められるはずもなく、背筋を這い上がるモノは恐怖だったのか、それとも快楽さだったのか。
「そんなに死にたきゃ、勝手に死ねよ」
 そんな事のために人の手を煩わせるな、と言外に言った少年の言葉に少しだけ興味が湧いた。
「こう言う時って、普通止めません?」
「止めてほしかったのかよ」
「いえ、そういうわけじゃ」
「だったら、別に良いだろ。それより、死ぬんなたら俺の前じゃなくて余所で死ね。掃除が面倒だろうが」
「・・・・はっきり言いますね」
「フンッ」
 不機嫌そうな少年の眉間の皺が更に増えた。細められた鳶色の瞳が射抜くように見つめてくる。まるで人間に慣れない野良猫の様に獰猛さを伴って男を惹き付ける。
肩の階級章からすれば下官と言えるだろう少年より遥に上部に食い込んだ将軍職に付いた男。
不遜な発言を繰り返す少年は上官を羨むとは無いのだろうか、と本気で考えてみた。
それ以前に己の方が更に不遜な言葉を言っていた事を棚に上げて、男は興味深そうに少年を見つめるのだ。それが余計に少年を苛立たせる行為だと気が付かずに。



漆黒の銃に込められた一発の銃弾。
迷信や信仰が有るわけでもない。それでも込めた銃弾が男の心境を物語っていることに気付いているのだろうか。
ずしりとした重みが手に馴染むように、目の前の奇怪な男にも慣れてしまうのだろう自分の状況は不利に近い。
いっそのことこのまま死んでもらえたら自分に降りかかるモノが減るだろうかと本気で考えた。
この際遺体の処理だとか事故処理に手を煩わせられるのは本意ではないが致し方ないだろう。
そんな事を本気で考え出した少年と、深みを増した紫暗の瞳の男が何処か面白げに笑っていた。