ドルチェ













 ちょうし外れの鼻歌を口ずさみながら譜面に書き込んだ音符がリズミカルに跳ね上がっていた。
部屋一面、足の踏み場さえないほど紙の束が散らばった室内が朝日によって照らし出されている。
爽やかな風が清潔感溢れる純白のカーテンを揺らす。少し肌寒さを感じさせる風に舞う紙と鍵盤を叩く指先が上機嫌に響く。
寝不足のため、目元に出来た隈が色濃くなり始めていた。それでも鍵盤を叩く指先は意思をもって軽快に動くのだ。途中、指を止め楽譜へと書き込みながら穏やかな時間が流れていた。
 ちょうし外れの鼻歌が止まり、書き込みを終えた楽譜を軽快な音で鍵盤を弾く。
 雨上がり、庭で子犬がはしゃぎ走り回る様な穏やかな音だった。
軽快な音が終演を向かえ、なごおしげに指先が鍵盤から離れる。早朝の空気を深く吸い込み、穏やかに笑った。鍵盤をひと撫でして蓋を閉じ、窓から入り込む朝日に目を細めた。
 空高く広がった青空が何処までも澄み切った蒼に、少しだけ安堵した。
「冬獅郎」
 口ずさむ様に名を呼んだ。扉の前に佇み、両腕を組んだまま綺麗な翡翠の瞳を閉じたまま微動作にしなかった男は愛おしげに笑みを浮かべた。
「出来たか」
「あぁ。たった今な」
 爽やかな朝に似つかわしい満面の笑みを浮かべているわりには目元に出来た熊が痛々しい。
「朝食出来てるぞ。食うか?」
「食う」
 緩い動作で椅子から立ち上がり、背筋を伸ばす。噛み締め損なった欠伸に目尻に薄らと涙が浮かぶ。
急かすように腹の虫が鳴きだした。少し頬を染め、前を歩く男は苦笑しながら作りたての食事を温め直していた。